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2月28日のアレ -本気で恋の話を:5- [Story: 1]

前回までのあらすじ>
 世界を一変させた「悲しみの週末」から1年あまり。拡大EUのエージェントとして旧日本への潜入を果たしたアンディ率いるチーム「ゴルフ09」だったが、「妖怪」と人類との戦争に否応なく巻きこまれてしまう。謎のジャーナリスト・マサヤは拡大EUによる驚くべき陰謀を明かした直後に凶弾を受け、クリステルへの伝言をアンディに託して息を引きとる。そんななか潜入の期限が迫るものの、約束の地点に迎えは姿を見せず、アンディたちは孤立する。
 それはともかく、恋の話もようやく結末を迎えることができそう!?



 校舎のどこかで起こった笑い声に、遠くの救急車のサイレンが重なり、すぐに消えていく。耳が痛くなるほどの静寂に抱かれた昼下がりが、たまらなく心地よかった。願わくは、この時間がいつまでもつづいたなら……。
 それでも、チャイムは鳴る。
 それは昼休みがあと5分で終わることを親切に教えてくれる予鈴で、これから5分以内に「自分の席」へと戻ることを強制する召集礼状のようなものだった。
 山口さんは大きくため息をつくと、少しかかんで紺色のソックスを引っ張りあげる。ぼくはその仕草を凝視しないようにぼんやりと見つめながら、しかし赤いラルフローレンの刺繍をしっかりと目に焼きつけた。
 顔をあげると、窓の外に目をやりながら山口さんが云った。
「そろそろ戻んないとね」
「ですね。残念だけど」ぼくもそう応じたけれど、なにが残念なのかよくわからずにいた。昼休みが短いことなのか、それとも……。
「うすたくんって、なんかいいよね」
 一段と鼓動が激しくなり、ほんとうに心臓が破れてしまうのではないかと不安になった。窓の外を見つめる山口さんの横顔からなにかを読みとることなんてぼくにはできず、長いまつげの向いている先を追いかけるようにぼくも見つめた。見なれた白い校舎がそびえるばかりだった。
「なんか、うまく云えないけど、うすたくんはいいよ。優しいと思うし、私のつまらない話でもちゃんと聞いてくれそうだし」
「そんな、つまらないことなんて……」と云いつつ、そんな問題じゃないことはよくわかっていた。
 と、山口さんは椅子をガタンと響かせて立ちあがると、足元のポリタンクに右手を伸ばした。
「ごめん、私に云えるのはここまで。ほんと、話せてよかったよ」
 つとめて明るい声を発しているような山口さんを、ぼくは正視することができず、そのままじっと窓の向こうを見つめていた。廊下の窓ごしに、急ぎ足で教室へと戻っていく人たちの姿が重なっていた。これでいいのか? このままいつもの自分を演じていればそれで満足か?
 とっさに立ちあがったぼくを待ちかまえるように、山口さんは背を向けていた。
「ちょっとだけ、遅かったかな」
 そうつぶやくと、山口さんは足早に美術室を出ていった。出入り口のところでふと足をとめたように見えたけれど、それはぼくの気のせいだったかもしれない。廊下を遠ざかっていく足音はけしてまた近づくことはなく、ぼくは椅子に腰かけると崩れるように机に突っ伏した。
 再度、聞きなれたチャイムが無情な音を響かせる。
 ぼくはずっとそのままの姿勢で、窓際の席にいた。たぶん様々なことが頭のなかをめぐっていたのだろうけれど、どんなことをどんなふうに考えていたのか、まったく思い出すことができない。
 やがて、5時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、ぼくは勢いにまかせて立ちあがる。立ちくらみがしてぼやける世界に、壁際に並ぶデッサン用の白い塑像がうっすらと浮かんでいた。胸から上だけの彼らは、ぼくを見ているようで見ていないようで、その距離感がなんだか嬉しかった。
 ふと窓のほうへと視線をやると、高く澄みきった秋の空が煤けて見えるくらいに、窓ガラスがひどく汚れていた。どうして昼休みには気がつかなかったんだろう。そんなことを思いながら、ぼくは美術室をあとにした。

  おわり

ネクスト(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


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2月27日のアレ -本気で恋の話を:4- [Story: 1]

前回までのあらすじ>
 南北アメリカ大陸を消滅させた「悲しみの週末」から1年あまり。重営倉からの出獄と引き換えに旧日本への潜入という危険な任務を引き受けたアンディ率いるチーム「ゴルフ09」は装備の大半を失いながらもなんとか旧日本への上陸を果たすが、そこはわずかに生存した人類と、放射能によって野生動物が変異した「妖怪」とが食料をもとめていがみ合う戦場と化していた。
 超現実的な光景を目の当たりにして途方に暮れるアンディの前に、マサヤと名乗る男があらわれる。自称ジャーナリストの彼は、自分を拡大EUへと連れ帰ることを条件に「悲しみの週末」の陰に潜む陰謀を明らかにするというのだが……。
 そんなことより、また話をふくらませてしまった恋の話はどうやって幕を引くの!?


 休み時間とはすべからく短いものだ。だからこそ、私たちは休むことに意義を見出せる。そう教えてくれたのは、どこか厭世的な雰囲気を漂わせる現代社会の教科担任だった。当時、その言葉が意味するほんとうのところは理解できなかったけれど、ともかく字義どおりに受けとることはできた。そう、昼休みは短い。
 ぼくらは間に机をはさむようにして、窓際の席に腰を落ち着けていた。美術室に電気はついておらず、大きくとられた窓から差しこむ陽光がひときわ眩しく感じられる。窓から見おろす位置にはテニスコートがあって、だれかがリズムよくラリーをつづけている音がぼくの胸に鋭く響いてきた。
「あの、保健委員なんですよね?」とぼくは尋ねた。
「そう、ジャンケンに負けて」彼女はいかにも情けないといったふうに笑うと、足元においたポリタンクに目をやった。「これも、ほんとはきのうの放課後にやらなきゃいけない仕事だったんだけど、ついサボっちゃいました」
 ぼくは「よくわかる」と云うかわりに何度もうなずいた。そして、都合のいいタイミングなんて待っているだけムダだと思いついた。
「話、飛んでしまってあれなんですけど……おれ、うすたといいます」
 すると彼女は顔をあげて、クイズ番組の答えをCM明けにやっと見られたように、嬉しそうな表情になった。
「そうだよね、おたがい名前とかも知らないんだよね。私もいつ聞こうかと思ってた。私は山口です」
 ぼくは舞いあがってしまう寸前だった。山口さん、山口さん、山口さん。頭のなかで何度も反芻した。
 それからぼくらは、胸のつかえが流れ去ったように様々なことを話した。山口さんは三年二組で、ぼくよりも先輩だということ。三年二組にはぼくがこの春まで在籍していた卓球部で仲の良かった蒲谷先輩がいて、その蒲谷先輩はクラスではほとんどだれとも話をしないこと。山口さんは夏前まで陸上部で、高飛びの選手だったこと。ときに笑い、ときにうなずき、そして同情した。
 今までに何百回となくすごしてきた昼休みのうちに、これだけ有意義で心弾む時間はなかったし、これからもたぶんないだろう。素直にそう思えた。
 テニスコートから小気味よく響いていたラリーの音が不意にやんだ。短い休み時間が、そろそろ終わりを迎えるのかもしれない。そして、このまま山口さんとも……。

 夏休みに入る直前のある土曜日の放課後、鼓膜が破れんばかりに蝉の声が鳴りわたるテニスコートのすみっこで、ぼくは人を待っていた。平澤さんとは一年のときに同じクラスで、世間一般にいうところの学級委員にあたる中央委員の仕事をいっしょに務めていた。おたがいにフォローしながらホームルームの司会をやったり、夜遅くまでふたりで教室に残り作業をしたり、そうこうしているうち、ぼくのなかで平澤さんは同級生以上の存在になっていた。いや、自分の心のなかに占める平澤さんの割合に気がついたのは、二年生でクラス替えがあって、別々の教室ですごすようになってからのことだった。
 今でこそ公立学校の土曜は休みだけれど、当時は午前中だけの授業があって、午後は部活動の時間だった。もっとも、その日は県大会かなにかでテニス部がいないことを知っていたぼくは、校舎のかげに立ち、真夏のぬるい風をしめったシャツに感じていた。
 約束の時間から五分ほど遅れてテニスコートにあらわれた平澤さんは、どことなくぼくの知っている彼女ではないように見えて、少しあわてた。それでも、ぼくは自分を奮い立たせ、伏し目がちに心の内を話した。
 話さなければよかった。
 帰り際、平澤さんはぼくに背を向けたまま、蝉にかき消されてしまいそうな声でたしかにこう云った。
「うすたくん、遅いよ……」

   つづく

裏腹(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


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2月26日のアレ -本気で恋の話を:3- [Story: 1]

前回までのあらすじ>
 総人口の4割を死に至らしめた「悲しみの週末」から1年あまり。テロ組織とは無関係の村への空爆を誘導したとして重営倉に入れられていた元SBS小隊長のアンディは、出獄と引き換えに拡大EUのエージェントとして旧日本への潜入を命じられる。
 曲者ばかりが集まったチーム「ゴルフ09」を乗せた空母は何事もなく日本近海に到達、チームはヘリで沿岸を目指す。直後、ヘリは何者かによって攻撃を受け後退を余儀なくされるが、引き返した先に空母の姿は跡形もなく消えていた。
 それはそうと、うすたが身を削る恋の話はいつまでつづくのか!?


 昼休みの喧騒とは無縁の美術室で、午後の光に照らされたあの女性の姿を見つめていると、ここがまるでNHKの「名曲アルバム」で見たドナウ川のほとりのようにさえ思えてくるのだった。
 なんて都合よく情景描写ができればいいのだけれど、残念なことに、美術室の入り口に立って、ただ彼女の背中をぼんやりと見つめるあのときのぼくに、ヨーロッパを思いやる余裕はない。しんと静まりかえった部屋に響きわたっているのではないかと心配になるくらい動悸がしていた。頭に血がのぼってしまい、鬼のお面のように顔が火照っている。
 なにか声をかけないと。そのために図書室を飛び出してきたのだから。でも、なんて云う? なんでもいいからと頭ではわかっていても、いざ口を開くと音声にはならず、心拍にあわせて全身が揺れるような感覚に身をまかせてぼくは立ちつくしていた。
 と、彼女は少しかがむような姿勢になり、床においていたポリタンクを右手に持つと、ゆっくりと起きあがりこちらへと振り向いた。
「あっ、どうも……」
 そんな言葉がぼくの口をついて出た。もちろん、すぐに後悔した。でも、ほかになんと云えばよかったのだろう。
 彼女は一瞬いぶかしげな表情を浮かべたものの、すぐに「どうも」とかすかな笑顔とともに会釈をかえした。その笑顔によって、申し訳ていどに機能していたぼくの思考は完全にダウンした。
「あの、さっき図書室に行って本を返して、そこで見かけて……そういう、あの……おれのこと覚えてないでしょうか……?」
 彼女は少し困ったような顔をしてぼくの目を見つめた。なんてことだ、ぼくはあの女性と見つめあっている。その距離、5メートルといったところだろうか。もうなにがどうなってもかまわないと思った。
「あっ、もしかして……」と云うと彼女は手にしていたポリタンクをまた床においた。「月曜……じゃなくて火曜日か、火曜日にあの学食のところで傘をバサバサッてやったときに、私がその……」
「そうです、そのときの自分です」おかしな日本語も気にならなかった。
 彼女は「ああ、やっぱり」と云って、いたずらっぽく笑う。
「ほんと、あのときはごめんなさい。私、まわりを見ないで動いちゃうクセがあるから」
「いいんです。ほんと、気にしてませんから」とぼくはかぶりをふったけれど、それは嘘だった。あの火曜日があったからこそ、ぼくはこうして彼女と話をしている。あのとき回し蹴りを食らっていてもよかったとすら思っていた。
「あの、もしよかったらでいいんですけど、ちょっと話とかできませんか?」
 すると彼女は「えっ」とつぶやき少し困った表情をしたように見えて、ぼくはあわてて言葉をつないだ。
「ごめんなさい。仕事中ですよね、そんなヒマありませんよね」
「あ、ううん、仕事はもういいんだけど……」そう云って自分の手のひらに目を落とした彼女は、両手をパンとあわせてぼくを見た。
「うん、じゃあとりあえず座ろっか?」

   つづく


バイオハザード写真はイメージです。本文とは関係ありません)


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2月25日のアレ -本気で恋の話を:2- [Story: 1]

前回のあらすじ>
 地球上の総人口の4割を死に至らしめた「悲しみの週末」から1年あまり、放射能に汚染された世界はいまだ混沌から脱け出すことができずにいた。生存した人類の半数を抱える拡大EUは、まったく連絡がとれない外世界の調査を決定する。
 旧英国の海軍特殊部隊SBSで小隊長を務めていたアンディは、「悲しみの週末」以前に中東で指揮をとった作戦に関して軍法会議にかけられ重営倉に入る身であった。ある日、彼のもとにブロンドの美女クリステルがあらわれ、無罪放免と引き換えに拡大EUのエージェントとして旧日本へ潜入する、という危険な取引をもちかける。
 再び集ったかつての戦友たちとともに、アンディの死闘がはじまる!


 雨の火曜日から3日、週の疲労が若い体にもこたえはじめた金曜日の昼休みだった。
 体育館でバスケしようぜ、という友人の誘いを断ったぼくの足は、図書室へと向いていた。いつもなら本を返すなんて後回しにするのだけれど、その日はなぜだか気が急いていた。ちょうどアガサ・クリスティに夢中になっていた時期で、次の本を早く確保しておきたいという気持ちがあったのかもしれない。ライバルなんていないのに。
 階段をのぼり、四階の廊下に立った。いつもこのあたりの空気は、心なしかひんやりとしている。図書室は廊下を左に曲がったつきあたりにある。ぼくは体を左側に向けつつも、なんの気なしに首をひねり廊下の反対側に目をやった。そちらの方向には書道室と美術室があり、その中間あたりには筆を洗うための大きな洗い場が設置されている。そこでなにやら作業をしている女子の姿に、ぼくの目は文字通りくぎづけになってしまった。
 あの人だ。
 図書室前の廊下で足をとめたぼくは、胸が弾みだすのを感じつつも、自分がどうしたいのかわからずにいた。声をかける? でもなんて声をかける? 彼女は手に大きなポリタンクを持っていて、そのなかにはシャボネット(という名前だったろうか、液体のせっけん)が入っていること、そしてその入れ替え作業は保健委員の仕事であることをぼくは知っていた。
 ぼくはきびすを返すと、足早に図書室へと向かった。運だめしだ。ぼくが混雑するカウンターに並び、本を返却して、再び廊下へと戻ったときに彼女がまだそこにいたなら、なんでもいいから話しかけてみよう。ほんとうは次に読む本を借りるつもりでいたのに、そんなことは頭からきれいさっぱり消え失せていた。
 カウンターには3人が並んでいて、ぼくの前に立ついかにも文学好きに見える猫背の女子は村上春樹の文庫本を四冊も抱えていやがる。後頭部を殴りつけてこいつの前に並んでやろうという衝動を必死に抑えつけているとき、ぼくはふと自分の正直な気持ちに気がついた。
 ぼくは彼女と話をしたい。
 笑ってしまうほどに単純なことだった。運だめしなんてやっている場合じゃない。
 カウンターの奥へとクリスティの文庫本を放ると、「返したよ」と云って図書室を駆け出した。カウンターで忙しく立ち回っていた見覚えのある図書委員がポカンとした顔でぼくを見ていたけれど、そんなことを気にしている場合ではなかった。とにかく借りていた本は返却した。
 廊下に飛び出したぼくは、たぶん「アイヤー……」などとインチキ香港人のごとくつぶやいていた。どれだけ凝視しても、手洗い場の前に彼女の姿はなかった。自分の運に賭けるなんてバカなことを考えていた自分を呪うしかない。
 いつものぼくならば、これであきらめてしまうところだった。でも、その日だけはどうしてもあきらめがつかないぼくの足は、自然と美術室のほうへと向いていた。もしかしたら……いや、いないまでも、ついさっきまでそこにいたであろう彼女の気配だけでも感じたかった。
 書道教室の前をゆっくりと進みながら、それとなく様子をうかがってみる。だれもいない。廊下のつきあたりが迫り、ぼくは美術室の前までやってきた。そのとき、ポリタンクを床においたときのようなコポンという音が部屋のなかから響いた。入り口からそっとなかをのぞく。薄暗い美術室の窓際で、秋の光を一身に浴びながら手洗い場の前に立つその人影は、まさにシャボネット容器のふたを閉じているところだった。
 まっ白になっていく頭のなかで、「そういえば今日はちゃんと顔を洗ってきたのだろうか」という不安が頭をもたげていた。

   つづく

混線(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


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2月24日のアレ -本気で恋の話を:1- [Story: 1]

 かつて好きだった女性が結婚するらしい、と風の噂に聞いた。

 話は、ぼくがまだ世の中のことをなにも知らない高校二年生の時分にさかのぼる。ぼくの通う県立高校は山のふもとにあって、電車で30分近くかけて登下校していた。たぶん、ぼくの実家は校区内ぎりぎりにあったと思う。
 毎朝、同じ時間の電車で登校するぼくは、次の駅で同じ電車に乗ってくる女性を楽しみにしていた。女性といっても、ぼくと同じ高校の制服を着ているんだけれども、かといって「女子」と呼ぶのがはばかられるくらいに大人びて見えた。髪は短めで、当時でいうと相原勇がちょっと髪を伸ばした感じによく似ていた。太ってもいないし痩せてもいないし、でもスカートの下からのぞく足は少し筋肉質で、なにかスポーツをしているようだった。「きれい」でも「かわいい」でもなく、「かっこいい」って感じがした。赤いグレゴリーのデイパックを持っていたから、よけいにそう見えたのかもしれない。実は偶然にもぼくのデイパックと色違いで、なんだか嬉しかったことをよく覚えている。
 彼女はぼくよりも先輩、つまり三年生だということは知っていた。全校集会のときに、三年二組か三組の列で見かけていたから。でも名前までは知らなかった。同じ電車で登校しているのだし、たまには同じ車両になることもあったのだから、その気になれば声をかけるチャンスはいくらでもあった。でも、ぼくは気が引けてしまいできなかった。遠くから彼女を見ていると、夕方のアニメを見たいがために二年の春で部活を辞めた自分がひどく幼稚に思えてならなかった。

 それはたしか9月のはじめ頃だった。夏休みが明けたばかりで、まだ頭がぼんやりしている火曜日、ぼくは友人たちと学食で昼食をとっていた。その日は久しぶりに雨が降っていて、午後の体育に長距離走をやらずにすんだ喜びを友人と分かち合ったりしていたのではなかったか。
 昼飯が終わり、ぼくらは学食をあとにした。学食は校舎から数メートルはなれたところに建っており、ほんの10秒ほどではあるけれど屋根のない通路を歩かなければならない不便な構造になっていた。そのくらいの距離、男子は気にも留めずに濡れて歩くのだけど、女子のなかにはご丁寧に傘を持参する人もいた。ぼくらの前を歩く3人連れもまさにそうで、ふたつの傘のかげに3人が身を寄せ合うようにしてせまい通路を進んでいく。
 先に歩いていた女子3人が校舎の出入り口に到着して、傘をしぼめた。そのすぐあとをぼくが歩き、そのうしろにはぼくの友人がいた。せまい出入り口には3人がキャッキャと云いながら立っていて、邪魔だなあと思いつつぼくは雨に濡れながら外で待っていた。
 と、ひとりが持っていた紺色の傘を外へと向けて、しずくを飛ばすようにバサバサッと開閉させた。すぐうしろに立っていたぼくは飛び散ったしずくをまともに浴びて、思わず「うわっ」と悲鳴をあげた。
「ああっ、ごめんなさい。大丈夫……?」
 顔にかかった雨粒をぬぐいながら、その少しかすれた声の主を見たぼくは、息がとまりそうになった。
「ほんとにごめんなさい。よく見てなかったから」
 ぼくはその〈女性〉の心配そうな表情をまともに見ることもできず、ただ「ああ、もう大したことないですから」とぶっきらぼうにつぶやくばかりだった。彼女の友人もぼくの友人も(しょうがないな)とでもいわんばかりの顔で笑い、そうしてぼくらは別れた。
 そのときは、ぼくと彼女の間になにかがはじまるなんて、とても思えなかった。でも、その日の雨はなぜか優しく感じられた。

    つづく

 

強行偵察(写真イメージです。本文とは関係ありません)


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