So-net無料ブログ作成
検索選択

12月31日のアレ -胸- [Television]

 年末にさしかかると、あちらこちらのテレビから「今年も残すところあとわずかとなりました」という定型句が聞こえてくるのですが、当ブログを更新するときは2008年も残すところあと1秒なのであり、今年も私の辛勝であったなと胸に刻みつけて新たな年を迎えるのでございます。こんばんは、マルシアです。
 どうでしたか、2008年は。不倫につぐ不倫。新聞を開いても不倫。テレビをつけても不倫。映画、文学、詩、川柳、大正琴、なにもかもが不倫一色の年ではなかったか。なかったね。うん、それはない。しかし、不倫に明け暮れた人も少なからずいたはずで、そんなの早くバレちまえ。地獄を見ろ。ハッハッハ。かつて「不倫は文化だ」なる発言で世間をお騒がせした人もいましたが、あれは「不倫も文化だ」と云うべきだったのです。すると、スワッピングも文化だし、あれもそれもみんな文化だということになってカドが立たなかった。日本語は難しい。
 どうでしたか、2008年の紅白歌合戦は。私は途中までしか視聴しなかったのですが、今年の紅白は成功だったと思います。視聴率云々のことはさておいても、ジェロという「主人公」を見つけた時点で「紅白歌合戦物語」が成立し、それは客席の涙でもって大団円を迎えたと云えるはずです。紅白の凋落とでも云うべき昨今の状況は、つまるところ、紅白に出場することが歌手の夢や憧れではなくなったということ、と換言できるはず。そして、お笑い芸人がその状況を逆手にとる形で紅白出場を「ネタ」にしはじめたことが凋落に拍車をかけ、さらにそのネタにNHKが乗ってしまったことがトドメとなった。民放番組の企画グループは出場させないくらいの気概を保つことができていれば、こうまで落ちなかったのかもしれません。
 そんななかで、ジェロという存在はまさに異端でした。なにもかも異端。もっとも重要な要素は、純粋に紅白に出たいという気持ち、紅白への夢や憧れだったわけです。それこそ、紅白の再生に必要不可欠な要素だったのですから。そして、ジェロの紅白に対するリスペクトの源は、演歌好きなおばあちゃんだった。ここに家族愛という要素が加味されて、すべては約束の地である出雲崎へと向かうのです。最後のほうはよくわかりませんがね。
 つまり、今年の紅白歌合戦は「ジェロ物語」のクライマックスだったわけです。よく少女まんがにありますね、「広末涼子物語」とか「上戸彩物語」とか、ものすごくベタなサクセスストーリーが。あの黒人演歌歌手バージョンと考えればいいのではないか。無理?
 良いお年を!

のの.jpg

さんb(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

8月14日のアレ -鏡- [Television]

 ボンジュール・マドモアゼール。デヴィッド・スーシェ以外のポアロは認めない方向のうすたです。
 テレビをつければオリンピック、チャンネルひねればオリンピック、水道ひねれば温泉で、牛乳しぼれば粉ミルク。あ、それ、どんどんだんだん温暖化。こんな日本にだれがした。視聴者の望むものを見せるのがテレビであり、テレビとは視聴者の欲望を映し出す鏡なのだ、とだれかが云っていたとかいなかったとか。そういった意味では、今次大戦におけるテレビ中継はその鏡の役目を果たしたり果たさなかったりのようです。水泳男子ではまさに見たいものを見事に見せてくれた。一方、反町ジャパンのごときを映し出したテレビなどは、日本国における「公共性」を失ってしまったわけです。
 これからも、おそらくはそうした視聴者の見たくないものを見せなくてはならない局面がいくつも訪れることでしょう。そのとき、テレビは果たして放送に耐えうるのか。画面を偽装してでも視聴者の見たいものを映し出すべきではないのか、などと中華共和国のようなことを考えはじめぬよう切に祈ります。
 そういえば、リーダーの醜態が週刊誌に載ってしもうた某アイドルグループがミュージックステーションに何事もなかったかのごとく出演していましたが、あれは「視聴者の見たいもの」をよく見せてくれた好例だと思います。あんな写真が出回っているのに笑顔でテレビに出演するなど、並みの神経ではできない芸当です。羞恥プレイなのでしょう。

 にしても、ジャニーズの権力ってすごいすね。

のの.jpg

oi(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

7月9日のアレ -張- [Television]

 ぶっちゃけた話、山本モナならいける気がします。あると思います。うすたです。
 なんかすごいな、あの人は。テレビのなかでの「体を張っている」という意味において、全盛期のダチョウ倶楽部に勝るとも劣らない「張り」を見せてくれる。ダチョウ倶楽部は体を張れば張るほど仕事が増えて、一時はゴールデンタイムに冠番組まで有していたわけです。翻って山本モナは、体を張ることによって大事な仕事を失うという、まさに破滅型。じゃあなぜそうまでして体を張るのかといえば、おそらく本人にもわからないでしょう。
 一度は不倫で、しかも報道キャスターが(本来は距離をおかねばならないはずの)政治家を相手にして、見事なまでに職を失った。ビートたけしなどの助力もあってようやくテレビに復帰し、なにがどうなったのか報道に返り咲いた矢先の、また不倫。視聴者の期待を裏切らない姿は「芸人」として立派だと思いますが、でも本人は芸人のつもりではないはず。
 報道を志すのならば、自らを厳しく律し、自制心を働かせる必要があります。でも彼女は、本能のおもむくままに手を伸ばす結果、そういうことになってしまう。こうなったら、この一連の流れを持ち芸にしてしまってはどうだろうと思います。あくまでも報道をやりたいというスタンスでバラエティ番組への出演をつづけて、そのうちチャンスに恵まれる。ようやく掴んだキャスターの座を、しかし不倫によってあっけなくフイにする。その繰り返し。10年もつづければ、『男はつらいよ』みたいなことになってくるのではないか。不倫発覚を正月に設定しておけば、『釣りバカ』か『モナ』か、という話にもなりましょう。
 問題は、山本モナのそういう存在の仕方を日本人が許容するか否か、その一点だけであり、その選択はまさにあなたの手に委ねられているのです。迷惑だってか。

のの.jpg

trustinyou(写真イメージです。本文とは関係ありません)


5月5日のアレ -失- [Television]

 問題。5月の5日ですねえ。なんの日? おとなの日ィ? 子どもの日です。今日チビッコは、とびっきり甘えていい日なんだよ。わかった? チビッコって云ったじゃん。おとなの皆さんは、近所の子とか、あたしにやさしくしてくれる?
 イエーイ。という感じでめっちゃホリデイな昨今ではありますが、このブログ版「エアあやや」が閲覧者諸氏にどこまで伝わるのか一抹の不安は残ります。とりあえず乳首をさわってこんばんは。
 夜の7時、私はもっぱらNHKニュースを見ます。7:30にはそれが終了し、平日であれば『クローズアップ現代』がはじまり、あるいは曜日によって地方局製作の番組や時代劇であったりもする。本日はおとなの日ではなく、年に一度の「子どもの日」であったせいなのか、特別番組がはじまりました。オープニング、いきなりディズニーランドです。はい、ミッキーさんドーンの、ミニーさんもドーン。目を疑いました。誤ってリモコンのどこかを押してしまい、民放局に切り替えたかと思った。
 いや、NHKがディズニーと手を組んだとしてもなんら問題はない、それはわかります。ガキとその親はディズニーとか好きなんだろ。じゃあ出しとけ。ミッキーとかドナルドとか出しとけ。歌って踊って、もうそれでいいよ。夢とかあたえる感じでさ。そんな企画会議だったかどうかは存じませんが、でも番組冒頭を見るかぎり、NHKにしては安易だと思ってしまったのもたしかです。
 とはいえ、よくよく考えてみると、私がこのNHKの所業に怒りと戸惑いを覚える原因は、子どもの日にディズニーをもってくる安易さというよりも、むしろ、私がディズニー嫌いであるという純粋なる私怨にあるのでした。普段はアメリカ帝国主義を批判的に報道しているNHKが、まさにその手先あるいは尖兵とタイアップするようなコンテンツをゴールデンタイムにオンエアするアティテュードが気に食わない。私のこの憤怒は、「案内役」とかで出演していた新垣結衣をもってしてもついぞ霧散することはありませんでした。


 それから、同日昼の『徹男の部屋』の件。黒柳徹男と小島よしおが互いにけん制し合ったまま、だらだらと時間がすぎた感じでした。いつ暴発するかわからない、という緊張感を醸成することもできなかったのは、小島よしおの実力不足によるはずです。
 結局のところ、例の『アメトーーク』を見た人にはそこそこおもしろく、見ていない人にはなんのことだかわからない、そんな番組になってしまった。それはお互いにとって失敗じゃないのか。事前の『アメトーーク』なしで「小島よしお初出演」のほうが、結果としておもしろくなったのではないか。そう思わせる余地を大いに残してしまった時点で、少なくもあれは失敗であったと私は思います。

のの.jpg

スーパ(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

4月10日のアレ -係- [Television]

 平面ブラウン管に映し出されていた小島よしおの醜態を目にした私の母が「ああ、これが関係ねぇの人ね」と、またひとつ知識を増やすことに成功した今夜、ピロートークのネタがすべってばかりの皆様におかれましてはいかがおすごしでしょうか。
 以前にも書いたやもしれませんが、私の母は地域の児童・民生委員を務めています。で、民生委員は地域の学童保育所にボランティアとして手伝いに行かねばならないらしい。なにしろ学童保育は、猫の手もロボットの手もタモリさんの手も借りたいほどの人手不足であり、特別な知識やノウハウをもっていない素人であっても、ともかく子どもを見ていればそれでいいのだそうで、月に何度かいそいそと通っています。
 学童保育には当然のことながら小学生がたんまりとおるのであり、手狭な保育所は混沌と化す。そんな混沌のなかで、しばしばこのような声が響き渡っていたのだそうです。
「そんなの関係ねぇ! そんなの関係ねぇ! はい、オp(後略」
 はじめのうち、母はそれがなんであるのかさっぱりわからなかった。次第に、それがテレビにておなじみのギャグであるとわかってはきたものの、そのギャグを目の当たりにできるような番組をいっさい観賞しない母には、やはりよくわからなかった。そうこうしているうちに、あれだけあちこちで響いていた「そんなの関係ねぇ!」が聞こえなくなり、やがて本当に関係なくなってしまった。
 そこに至ってはじめて、私の母は本物の「そんなの関係ねぇ!」を直視したのでした。
 ある日、またボランティアに出向いた母は、以前はそんなこと関係ないとしょっちゅう喧伝していたある男子児童に尋ねたそうです。最近は「そんなの関係ねぇ」をやらないのね。すると、その男子はしたり顔でこう答えたのでした。


「うん、あんなのもう終わったからね」
 

 おあとがよろしいようで。

のの.jpg
まがい(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

4月4日のアレ -千- [Television]

 ルネッサーンス。月月火水木金金のペースで敗戦へと邁進する皆様におかれましてはいかがおすごしでしょうか。記録は大事ですよ。妻の日記が証拠となって労災認定されることもあるのですから。え、敗戦したら労災もなにもないだろうって? ルネッサーンス。
 存外に続くものといえば「お笑いブーム」。統計があるのかどうか存じませんが、総人口に占めるお笑い芸人の比率を調査すれば日本は間違いなくトップ3に入るはず。ほかの2国がどこなのか見当もつきませんがね。日本人を無作為に千人ほど集めたら、そのうち一人はお笑い芸人とか、そのくらいの分布ではないか。ある千人のなかに森脇健児がいたらカウントするかどうかで揉めるだろうね。よく見たら西川史子もいて、じゃあこの千人のなかにお笑い芸人は一人ってことで、とか。
 私はどうも、ひどく冷たい人間だと受け取られることがしばしばです。冷酷、人情味に欠ける、愛情を感じない、心の大事な部品が欠落している、浮気性、ユニクロに通っている……大部分は当たっているので反論の余地もなく、ただニヤニヤして受け流すしかないのですが、とはいえ、テレビにてお笑い芸人を観賞させていただく際にかぎっていえば、そうでもないのです。これ以上ないくらい温かな目で平面ブラウン管を見つめますし、おもしろければ声に出して笑う。さほどおもしろくなくとも、「きっとこういうふうにしたかったんだろうなあ」と勝手に想像し補完して笑うこともしばしばです。それはおそらく、お笑い芸人という道を選んだ皆様に対する尊敬の念があるからだと思うのです。
 だから、という接続詞でつないでいいのかどうかわかりませんが、あんなにおもしろかった芸人が次第に忘れ去られていくのは身を切られるようにつらいし、反対に、波田陽区先生の新作「さだ陽区」を見たときには狂喜しました。
 長々と書いてきましたが、そんな私が最近まったくわからないのは、エド・はるみです。さっぱりわからない。彼女のネタが流れるとき、平面ブラウン管の前で私は (゚д゚) となってしまいます。そうはいっても世間様ではかなりの好評を博しているようでもあり、これは単純に私のチューナーではエド・はるみの周波数に合わせられないということなのでしょう。エド・はるみのために割かれる電波の2割くらいがバカリズムとザ・パンチに与えられると私にとって心地よい社会になるのになあ、とぼやくことしきりの花粉症の春であり。

のの.jpg
クソ(写真はイメージです。本文とは関係ありません)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

10月2日のアレ -曽根破綻- [Television]

 早いもので、気がつけば10月。なんてことを毎月のように記入している感じですが、いやいやいよいよ10月です。カウントダウン。適当に書いていてもなんとなく意味が伝わる以心伝心。下手なラジコン前進後進。君の死因に唖然呆然。冬でもやっぱりレディボーゲン。ひゃーくまーんえーん!
 ここしばらく思うこと。
 結局、ギャル曽根は入院する以外にないのではないか。彼女はいわゆる「病気」の類ではなく、特異な体質であることはよくわかりました。もっとも病気なのかそうでないのかの線引きは非常に難しいのでしょうけれども、ともあれ「見世物」にできない「病気」ではない(らしい)ことがはっきりして、テレビをつくる側も見る側もギャル曽根に対して心おきなく好奇の視線を送ることができるようになった。そこはっきりしてくれないと、ラーメン4キロをほおばりながら「すごいおいしい」と云われても、どこか後ろめたいような気持ちになるからさ。
 でも、そうは云われてもやっぱりどこかで破綻するよなあ、と思うのもまた人情ではないか。というより、どこかで破綻することを望んでさえいるのではないか。
「やっぱりねえ、あれだけ食べてたらダメだって。いつかこうなると思ってたよ」
 ワイドショーのマイクを向けられたなら、いつでもそう応じられる人は数多いでしょう。ギャル曽根に対して好意的ではあるけれど、心のどこかにカタルシスを待望するかけらを内包することでもしかすると精神の平衡を保っているのかもしれない小市民。そんな視聴者のなまあたたかい視線に支えられて生きているギャル曽根に、これから先何十年にも渡っていまと同じペースで芸能活動をつづけられては困るのです。日本人が。
 やっぱりね。そうなると思っていたよ。この予定調和の環のなかで、視聴者とギャル曽根はもはや共犯関係にあるのです。である以上、ギャル曽根の進むべき道、とるべき進路、末路、それは入院しかありえません。あとはタイミングと「病名」の問題を残すのみなのです。

そして(写真イメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

9月26日のアレ -全部- [Television]

 最初から決めていました……井森美幸さんに、全部。
 たまにいましたね、そういうテレビをわかっている出場者。だいたいはスッテンテンになるというこれまたテレビ的なカタルシスを味わえたものです。だって倍率ドンのさらに倍で井森美幸は「20」ですから。篠沢教授でさえ「12」だというのに、まったく大博打もいいところです。井森美幸は正解するはずがない。ハルウララに全財産をつぎこむ好事家はいませんが、井森美幸に「全財産」をつっこむ出場者はたしかにいて、それはそれとして好意的なまなざしを向けられるのです。
 つまり、私はなにを主張したかったのか。先日、その井森美幸が『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」に出演した際、客席100人のうちで1人だけがスイッチを押すようなアンケートを考えられたら特製ストラップがもらえる例のコーナーにおいて、彼女は自身のシングルコレクション「井森美幸に2000円」を予約した人はスイッチオンという質問をし、結果4人が押したのでした。バラエティ的直観が働いた井森美幸は「ちょっと、これすごいですよタモリさん」と大げさにはしゃいで見せましたが、「4」の数字が出た瞬間の会場のどよめきと失笑はいかんともしがたく、ではこの結果はなにを意味するのかといえば、つまり、時代が井森美幸に追いついたのです。ようやく。先行者の常とでも云うべきか、井森美幸は早すぎた。
 なんてことを書こうと『ヘキサゴン』を見ながら思いましたが、ということ自体が嘘であり、なんとなれば『ヘキサゴン』すら見ていない私は、しかし食料自給率を向上させるためにはどうすればいいのかという難題について特にこれといって意見はありません。

separated(写真イメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

8月21日のアレ -うーまーいー- [Television]

 戦争の大きな流れによって引き裂かれ翻弄される若い男女の運命を通して「夏風邪は治りにくい」という普遍的なテーマを壮大なスケールで描いたのはロシアの性豪ドストエフスキーでしたが、身をもって体感することになろうとは露ほども思いませんでした。夏風邪なんて久しぶりです。一年ぶりでしょうか。と書いてみて、そういえば夏以外にキャッチしたア・コールドは「夏風邪」とは呼ばないのであるから、久しぶりであるのもむべなるかなと感じた次第。恐縮至極に存じかねます。
 ベンザエースにより意識が朦朧としながらも、お笑い芸人によるカラオケ番組を視聴しました。「芸人歌うまい王座決定戦」とかそういったあれ。前にもやっていたような気がしていたら、今回で第9弾だったとか。どれほどの頻度で放送されているのかわかりませんが、かりに半期に一度と考えた場合、いわゆる「お笑いブーム」は4年以上もつづいていることになる。以前から私は「オンエアバトルの終わりがお笑いブームの切れ目」と考えてきましたが、これからは「芸人歌うまい王座」の終焉を指標にしようと思います。NHKは変に律儀なところがあるからなあ。オンバトも延々とつづくような気がしてきました。その点、民法は良くも悪くも節操がないので、見限るタイミングを見失うこともないはず。
 ところで、お笑い芸人にとって「歌(が)うまい」ってなんだろうと思います。歌にかぎらず、何事につけても下手なよりは上手なほうがいい、とは道理です。が、お笑いの場合、音痴であることが笑いにつながることもある。もっとも今回でいえば、にしおかすみこの下手さは笑いにすらつながらなかったとはいえ。また、芸は身を助ける、とも云う。歌がうまいことによって仕事が増える可能性もあります。品川はまさにその理由から、ボイストレーニングに通っていたらしい。実際、「歌うまい王座決定戦」という特番に出演できるのだとすれば、明らかに「身を助ける」ことにつながる。
 ここまでは芸人の立場から書いてみましたが、考えてみれば、芸能人にとって、それがどんなものであれ仕事があるということは寿ぐことであり、歌だろうがなんだろうがテレビに映るなら出ていくわけです。とくに「若手」と呼ばれる人々は。
 考えるべきは、視聴者についてです。お笑い芸人が真剣に歌うところを見たいのか。ちっともおもしろくないが、それでいいのか。いや、それでいいからこそ、第9弾までつづいている。となれば答えはひとつ、お笑い芸人というのはもはやアイドルの一形態なわけです。本業アイドルの皆様も基本的にはさほど歌がうまいわけではありませんし、それほどの名曲をそろえているわけでもありませんが、コンサートともなればどこの会場も満員になる。アイドルのファンとしては、ご贔屓のアイドルがなにをしていてもいいわけで、歌を歌う(レコードを出す、コンサートを開く)という行為は、金を払う口実にすぎない。
 ご贔屓の芸人が歌っている。意外にうまいのか、それとも意外に下手なのか、どちらにしても本業芸人にとっては「意外に」なわけで、これまでは知らなかった一面をのぞかせるという意味においても、「芸人歌うまい王座」という番組は芸人のアイドル化に大きく寄与しているものと思います。地球温暖化

見ん(写真はイメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

8月19日のアレ -ちゃんさん- [Television]

 一時期のハードゲイを彷彿とさせるほどの勢いと頻度で小島よしおを視聴させられる昨今、いや、させられるのが我慢ならんたいということならばチャンネルをひねればいいだけの話ではありますが、ひねったらひねったで、今度はなかば死にかけている欽ちゃんさんを視聴せねばならず、はじめて握手してもらった芸能人の脈が途絶える瞬間は見たくないのでやむなくチャンネルを戻したらば、小島よしおが「ウェヘーイ」とかいって白目をむいているので慌ててテレビを消した晩夏の一夜、24時間を費やした年に一度しか開かれない祭りのクライマックスとして「萩本欽一の死」という壮大なカタルシスを期待した皆様におかれましてはいかがおすごしでしょうか。ここまでが前戯。ところで、GACKT扮するところの謙信公には意外なほど違和感がありません。彼のことですからグラサン姿で出演するものとばかり思っていましたので、少し拍子抜けしました。実際の謙信公はあんなじゃなかったのでしょうけれども、じゃあ実際の徳川家康もまた津川雅彦のようではなかったのかと考えてみると、たぬけオヤジ……たぬく……たぬっ……やべー、ヘタこいたー!

 

しかし(写真イメージです。本文とは関係ありません)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。