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11月6日のアレ -廃墟13- [Story: 5]

 それからどれくらい歩いたものか、実際のところ5分か10分かその程度の距離であったはずだが、行けども行けども代わり映えのしない景色のおかげで、俺は引き返すことを真剣に考えた。もっとも、かりにそうしても景色は同じだったのだが。
 やがて目の前に、忽然と、壁があらわれた。艶のない板が張られ、向かって左の隅にドアがある。そして、それ以外にはなにもない。カマボコの横幅いっぱいに壁がつづき、見上げれば天井までもつづいている。この空間は壁によって完全に仕切られていた。
「カマボコをスパッと、って感じだな」
 思わずつぶやいた俺を見て、圭輔はかるく笑った。
「まあな。この奥がお待ちかね、廃墟だ」
 圭輔は左隅のドアに歩み寄ると、少しかがんでノブを握った。というのも、近づいてみてわかったのは、ドアが微妙に低いことで、おそらく160センチほどの高さしかないのだった。小学校教室だってもう少し高さをとるはずだ。安い合板のようなドアを手前に引いた圭輔はおじぎするように頭を下げて奥へと進み、俺もつづいて上辺に手をかけて頭をぶつけないようにした。
 ドアの奥、いや、そこに奥はなく、また壁だった。壁に沿うかたちで階段が右手に伸びている。奥行きがあるとすれば、階段の幅の50センチほどがそれにあたり、ここを通る者は左右の壁にはさまれるようにして階段を昇降するのだった。これでは途中ですれちがうこともままならず、また家具大きめの機材も運び込むことはできないではないか。
 ふと茶室のにじり口を思い出したが、ここへたどりつくまで我慢できる客人はよほどの人格者か、さもなくばよほどの暇人だろう。間違いなく後者の俺は、圭輔の尻を眺めつつ、薄暗い階段を踏みしめた。

・つづく・


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9月23日のアレ -廃墟12- [Story: 5]

 圭輔のサンダルが放つズルッ、ペタンというリズムが乾いた空気に反響する。これだけ平坦でなにもない廃墟と知っていれば、トレッキングシューズなど履いてはこなかった。靴のなかでひどく湿っている靴下を意識しながら、俺は圭輔の背中に向けて口を開いた。
「おまえさ、どこでこんな建物を見つけたんだ?」
「ネット」
 俺の方を振り向きもせずに圭輔は言った。
「どっかいい場所ねえかなと思ってさ、いろいろ検索してたら見つけた」
 いい場所、という言葉が耳に引っかかったが、いまは気に留めておくだけにした。
「圭輔は前に来てるんだろ? なんで俺を連れてきたのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃねえの?」
 ズルッ、ペタン。ズルッ、ペタン。
 なにかの台座のように盛り上がった床につまずきそうになり、俺はジャズダンスステップを踏むように重いトレッキングシューズを運んだ。台座といっても高さは15センチから20センチほどで、汚れも傷もなく、なにかがおかれていたような形跡は見当たらない。どこに目をやってもそうだ。年季の入った建物であることはたしかだが、なにかの目的に使用されていた、あるいはかつてここに人が出入りしていたことを示す痕跡がない。
 とすればこのカマボコは、建造されたもののなんらかの理由によって使用されないまま放置された挙句に、廃墟として俺たちを迎えることになってしまったのかもしれない。この莫大な規模からするとありそうもない話だが、可能性としては考慮にあたいする。理由の如何によっては、いわくつきの物件として放置されてきたとしても納得はできる。
 5分ほど俺たちは無言のまま歩きつづけると、L字の角に到達した。カマボコは直角に曲がり、右に伸びている。俺は立ち止まり、腿のポケットからペットボトルを取り出すと、ぬるま湯でのどを湿らせた。
「なあ、圭輔よ。別に歩くことは苦にならないんだが、これ右に曲がってまた歩きつづけて、その先になにかあるのか?こんなもの延々と見ても、俺の人生はそんなに変わらねえぞ」
「ある」
 圭輔の即答に驚いた俺は、思わずボトルを落としてしまった。こぼれた水が乾ききったセメントにおねしょのようなしみをつくる。
「なにがある?」
「とにかく行こう。この先に事務所みたいな部屋があって、そこはちゃんとおまえの期待しているような廃墟だから。な、俺を信じろ」
 そう言ってズルッ、ペタンと先を行く圭輔を見やり、俺はしゃがんでペットボトルを拾いあげた。汗をかいたボトルの表面に細かな砂がまとわりつき、自分が廃墟にいることを思い出させてくれた。

・つづく・


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9月15日のアレ -廃墟11- [Story: 5]

 想像していたよりもドアは軽く、俺はまたよろめいた。向こう側もけして明るくはないが、日の光がうっすらと差し込んでいて、まるで明け方のように神秘的だった。
「広いな」
 思ったままを口にした。目の前の光景を表現するにあたって、それ以外に適当な言葉はなかった。
 ようやく廃墟の本丸へと足を踏み入れたらしいのだが、これがなんであるのかいまだに見当もつかない。以前に見たことのある建造物のなかでいちばん近いのは体育館だった。カマボコ型の形状、天井の骨組み、いまにも落下してきそうな照明、それらは部活の試合で訪れた私立高校の体育館にビッグライトを照射したような感じだ。左右の壁のかなり高い位置に窓が並んでおり、ガラスがきちんと張られていることに奇異な印象を受けた。それとも俺は廃墟という先入観にとらわれているのだろうか。
 ドアをくぐり、カマボコのなかに歩を進めた。まだ太陽光に熱せられていないのか、むしろひんやりとしている空気が心地よい。乾いた臭いが鼻をついたが、不快なほどではなかった。何歩か進んだところで、ザラッという足音に気がついた。
「床、セメントだな」
「ああ、だから工場とか、そんな感じなのかな。でも機械とか設備とか、な」
 そう言ってあたりを見回す圭輔につられて、俺も薄闇に目をこらす。平らなセメントのところどころが盛り上がっており、なにかを設置する台座のように見えなくもなかった。ここに「ある」ものといえばそれくらいで、他にはなにもない。もはや動くことのない機械や錆びついた工具、朽ちた木製の机、割れたままのガラス、積年の汚れ……それら廃墟の構成要件を満たす要素がなにひとつそろっていない。おまけに、元々ここがなんであったのかさえわからないのだ。廃墟と聞いて多少なりとも想像力をたくましくしていた俺は、肩すかしを食らったような気がした。
「圭輔、これ廃墟か?」
 圭輔は左側の壁をじっと見つめながら答えた。
「言いたいことはわかる。荒れてないのが不満なんだろ?」
「ざっくり言えば、その通り」
「大丈夫。そういうのもあるさ」
 圭輔は俺と視線を合わせることなく歩きはじめた。そういうのもある、らしい。あるのなら見る。いや、見なければ帰れないような気持ちになっていることが、自分でも不思議ではあった。

・つづく・


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9月7日のアレ -廃墟10- [Story: 5]

 ドアが入室を拒絶するガツンという衝撃に、俺は思わず後ずさりした。それでもノブを手放さなかったのは、俺の意地だったかもしれない。
 振り返った俺の目には多少なりとも怒気がこもっていたのかもしれない。圭輔は「鍵はかかってねえよ」と苦笑いをうかべた。
「押してもだめなら、な?」
 俺は握ったままのドアノブを見つめて、頬が赤くなるのを感じた。
 ギギッと不快な音とともにドアは開き、湿った空気の臭いが鼻をついた。ドアの奥は部屋なのか、あるいは通路なのか、明かりがないことには判別がつかない。懐中電灯を持参しなかったことを後悔した。どうやら床は木製らしいが、強度が不安だった。
 戸口まで進んだ圭輔が俺の横に立ち、中腰になって暗がりに目をこらす。
「前に来たときから変わっていなければ、障害物みたいなのはなにもなかったと思う。向こうの壁際まで行って、たしか左隅にまたドアがあった。それも引くやつな」
 壁までどれほど距離があるのかわからないが、前進する以外に道はない。ドアは開け放したまま、俺と圭輔は奥へと足を踏み入れた。トレッキングシューズの重い足音とビーチサンダルの軽妙な足音が不規則なリズムを奏で、ときおり床板のきしみがアドリブを加える。それ以外に音をたてるものはなにもない。互いに無言のまま慎重に歩を進めるうち、神経が研ぎ澄まされていくような気がした。
 20歩ほどのところで目の前に圧迫感を覚え、そっと手を差し出すと、セメントらしい冷たい感触があった。
「壁だ。左へ行けばいいの?」
「うん、たぶん」
 互いに、なぜか小声で話していた。
 壁に手を沿わせたまま、俺はまた進んだ。学校の壁のように手のひらが白くなっているかもしれないと思った。
 今度は10歩も歩かないうちに、手のひらの感触が変わった。数センチの段差があり、そこから木のザラッとした手触りになる。手さぐりでドアノブを探しあてると、意外なほどなめらかな金属の冷たさに息をのんだ。こちらは錆びていないらしい。
「引くんだな?」
 圭輔がいるだろう方向に向かってささやき、うなずいたような気配を感じると、俺は力をこめてノブを引いた。

・つづく・


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8月29日のアレ -廃墟9- [Story: 5]

 一歩ごとに、草や葉を踏みつける柔らかな感覚とかすかな音が足元から伝わってくる。なるべく踏むまいとする努力は、数歩でついえた。
 ふと振り返ると、ビーチサンダルをひっかける圭輔がまるで行進するかのようにひざを上げて歩いている。俺の視線に気づいたのか、苦笑いで「かゆい」とつぶやいた。
 入り口。他にそれらしいものが見当たらない以上、おそらくここがそうなのだろう。まるで民家のカーポートのように、中型のセダン一台を覆う程度の屋根があり、その奥にセメントの階段が二段、そして暗がりにどこにでもあるサイズのドアが見える。建物の大きさに比して、あまりに小さく貧相な入り口だった。これが工場だとすると、毎日の出退勤がパニックになることは目に見えている。他にも通用口みたいなものが存在するのかもしれないが、ともかく門からまっすぐ歩いてきたのだから、これが正面玄関に違いない。
 すねのあたりを手でこすりつつ、圭輔が言った。
「一応、ここから入れるんだ。どうする、入ってみる?」
「入れることは知ってるんだな?」
 ふたりの視線がぶつかった。何秒かの間、俺たちは黙ったまま見つめ合っていたが、やがて圭輔が目を伏せた。
「前に来たことがある。6月だったかな」
「そうか、彼女とか?」
 なぜだろう、彼女の顔は浮かんでも、名前は思い出せなかった。
 圭輔は「まあな」とあいまいに応じて屋根の日陰に入った。俺も後につづき、ドアの前の階段に足をかけた。気温が3度か4度も低く感じられるのがありがたかった。タオルで顔をぬぐい、同じくTシャツの裾に額の汗を吸わせている圭輔を見た。
「おまえは入ったことあるんだろうけど俺はない。入れるんなら、入る」
 宣言する必要があったのかどうか、あるいはそうやって自分を鼓舞したかったのかもしれないが、俺はそう言ってドアの前まで進んだ。
 木製のドアに濃い緑色のペンキを塗ってあるらしい。表面がだいぶ荒れており、ふちは腐りかけている。それでも、ドアとしての役目はしっかりと果たしているように見える。塀にせよ壁にせよ、この廃墟には奇妙な「質実剛健さ」とでも呼ぶべきなにかが備わっているらしい。
 元は銀色であっただろう赤茶けたドアノブを握る。ざらっとした手触りと、想像していた以上の冷たさに、思わず手を引いた。
「やめるか?」
 いつの間にか背後に立っていた圭輔に煽られるように、俺は荒っぽくノブをつかんでドアを押した。

・つづく・


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8月16日のアレ -廃墟8- [Story: 5]


 構内と呼ぶべきなのかどうか、門の内側の地面にはられたセメントはひどく荒れており、カタバミやらオナモミやらタンポポに似たナントカやら、さまざまな雑草の類がセメントのひびを押し広げるように伸長し、生い茂っている。もはや名も知らぬ草を踏まずに歩くことはできない、草原のような有様となっていた。
 あらためて建物本体に目をやると、開いた口がふさがらないほどでかい。体育館にしては大きすぎ、しかしなにかの格納庫にしては門が小さすぎる。消去法でいけば工場跡地になるのだろう。間近に見てもなお霞んでいるのが不思議ではあった。
「な、圭輔。これ本当になんだかわからねえの?」
「うん、なんかいろいろ調べてみたんだけどさ」
 圭輔はポケットに両手をつっこんだまま、じっとカマボコを見つめている。なにか思うところがあるのか、それとも凝視するとなにかが見えてくるのか、俺も圭輔に倣うことにした。
 門から入り口らしき部分まではおよそ10メートル。その間にはなにもなく、ただ草が茂るのみ。この位置からはよくわからないが、どうやら建物はL字型になっており、奥行きはそれほどでもない。その代わり、横にはとにかく長い。塀の横辺は100メートル以上あったはずだが、その長さを目一杯使ってある。壁のところどころが崩れかかっているものの、強度的にはまだしっかりしているように見える点は、塀と同様だった。
「すげえよな」と圭輔がぽつりとつぶやいた。「こんなの、ここにあるなんてさ」
 その通りだ。なにしろ住宅地なのだから。昔からここに建っていたというよりも、むしろSF的に、突如として廃墟が現れたと考えるほうが納得できるような気がして、ふと『漂流教室』というまんがを思い出した。
 ある日、なんの変哲もない小学校の校舎が、そのなかにいた児童や教員ともども忽然と姿を消す。そこにあるべき校舎の跡地がぽっかりと空いた空間になっているまんがのコマに白々とした恐怖を覚えたことをよく覚えている。その学校は荒廃した未来へとタイムスリップしたという話だったが、俺の目の前にそびえる廃墟はその逆に、未来から送られてきたのではないか。そうとでも考えなければ、これだけ巨大な建物が廃墟と化したままの姿で放置されている事実の説明がつかない。
 ともかく、かつてこの廃墟がどうであったのか、それを知らなければならないと思った。知るためには、前へ進むしかない。俺はポケットからペットボトルを取り出すと、お湯になりかかっている水に口をつけた。

・つづく・


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8月8日のアレ -廃墟7- [Story: 5]

 かどを曲がると、やはり塀がつづいていた。廃墟の四方を囲む塀のうち、俺たちはいわば縦の辺に沿って歩きはじめた。100メートル以上はある横辺に比べて、縦辺は50メートルほどに思えるが、いずれにしても視線の先は霞んでいる。
 かりに100×50メートルという目測を信じるとして、長方形の面積は単純計算で5,000平方メートルになる。さすがに東京ドーム比較するまでもない面積だが、それにしても広い。住宅地の一角を占めるにしては広すぎる。宅地として分譲するなり、マンションを建てるなり、有効な利用法がいくらでもあるだろうに、どうして廃墟のままなのか。あれこれ考えをめぐらせるうちに、暑さを忘れていた。
 ただの廃墟ではない。なにかあるのだ。振り返ることもなく歩きつづける圭輔は、そのあたりの事情を知っているのかもしれないと思った。すでに一度はここを訪れたことがあるに違いない。その上で俺を招待した。俺の人生が変わるような、なにかがある。
「クソ」
 思わずつぶやいたその言葉は、圭輔の耳に入ったらしい。
「クソ? したいのか?」
「クソ暑いんだよ」
 圭輔は納得したように何度かうなずいた。
 クソ、楽しみだ。とはどうしても言えなかった。まんまと乗せられているようで癪にさわるのだが、自分の気持ちは偽れない。だから、朝も早くからこんなやる気みなぎる格好で圭輔を待っていたのだ。
 縦辺は50メートルかもう少しあったかもしれない。代わりばえのしないコンクリートの塀を左手にしながら歩きつづけ、先を行く圭輔がかどを曲がった。何歩か遅れて俺も新たな辺に踏み出すと、目の前に圭輔が立ち止まっていた。
「お待たせいたしました。廃墟にご到着でございます」
 執事のようにうやうやしく頭を下げる圭輔を見流すと、俺は塀に目をやった。いや、そこには車を停めた横辺の裏側にあたる塀があるはずだったが、コンクリートは5メートルほどで途切れ、かわりに鉄製の大きな門がそびえていた。
「これが玄関なの?」
「そう、開かずの玄関だな」
 そう言って圭輔は門に近寄り、ぺちぺちと叩いた。高さは塀とほぼ同じで、上に鉄条網こそ張られてはいないが、同じように鉄は錆に覆われていた。とはいえ、頑丈さは現役時代と比べてもさほど衰えていないように見える。二つに分かれる門が左右にスライドするかたちで開くらしいが、その二つは中央部分で鉄製の鎖によってぐるぐる巻きにされ大きな南京錠でロックされている。まさに「開かずの玄関」だった。
 俺も近づくと赤錆だらけの門に触れた。ひんやりとしていて気持ちよかったが、太陽に熱せられていないことが不思議ではあった。20センチほどの格子から敷地内をのぞきこむと、内部はまるで草原のように草がうっそうと生い茂り、その奥に学校の体育館をほうふつとさせるカマボコ型の大きな建造物が見えた。
「体育館、いや格納庫? 工場か?」
 思いついたままを口にすると、圭輔は困ったような笑顔をうかべた。
「うん、実はなんだかわからねえんだ」
「わからねえ、つってもさ」
 俺は門柱にあたる部分のコンクリートに目をやった。これがなんであるにせよ、表札や看板の類が掲げられていてもよさそうなものだが、見当たらない。ここにはめこまれていたと思しい跡すらなかった。
 また、すき間からカマボコに目をこらす。それほど遠いわけではないのにも関わらず、なぜかぼんやりとしか見えない。暑さのせいだろう。俺は左腿のポケットにペットボトルをつっこむと、かわりにタオル取り出してひたいをぬぐった。
「さて、じゃあ行こうか」
 のん気な声を出すと、圭輔は門の格子を握りしめ、ビーチサンダルの足をかけた。
「え、ここから? よじのぼんの?」
「門が開かないんだから仕方ねえだろ」
 圭輔は何度か足をすべらせながら頂上までのぼると、門をまたいだ。
「来いよ。廃墟が待ってるぜ」
 太陽を背にしてこちらへ手を差し出す圭輔を見上げながら、なぜだろう、俺は急に帰りたくなった。

・つづく・


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8月3日のアレ -廃墟6- [Story: 5]

 まだ9時にはなっていないが、気温はそろそろ30度になろうかというペースで上がりつづけている。エアコンの効いていた車を降りてから、すべての意識と思考が「暑い」に上書きされていた。
 塀は3メートル弱の高さがあり、上辺には朽ち果てた鉄条網が残されている。放置された期間がどれほどなのか見当もつかないが、コンクリートはそれほど傷んでいない。とはいえ、地面との間には無数のひびができ、そこから顔を出したマツヨイグサのような雑草が茂みをつくっていた。
 この塀がどこまでつづいているのかをたしかめようと俺は首をひねり、そしてようやく、その尋常ではない距離に気がついた。目測でもゆうに100メートルはある。ヴィッツの車首が向いている先の塀は、アスファルトの輻射熱によって霞んでいた。なにより、塀はどこまでもつづき、入り口は見当たらない。
「塀が廃墟なの?」
「いや、これは裏側。玄関はこの反対側なんだ」
 だったらその玄関前に車を停めればいいだろボケ。と圭輔を罵る気力も起こらなかった。裏だからおまわりも来ないのだろうと勝手に納得すると、塀を左手に見ながら勝手に歩きはじめた圭輔の背中を追った。
 昨夜、俺は廃墟の探索をライフワークとしているような人々のホームページを訪れていくつかの教訓を得た。とくに服装は重要で、「こんな服装で廃墟に行くのは自殺行為だ」という例が記載されていたが、それをそのまま実践しているのが、俺の前を行く圭輔だった。赤い半袖のTシャツ、カーゴポケットの付いた短パン、ビーチサンダル。一方、先人に学んだ俺は、長袖のTシャツ、地厚のカーゴパンツくるぶしまであるトレッキングシューズという、真夏にはどうかと思う服装だった。さすがに袖をまくったものの、これだけで3度くらいは体感気温が上がっているような気がした。
「なあ圭輔、その格好はまずくねえ?」
 すると圭輔は、いかにも意外だという表情で振り返った。
「なんで? そんな大したことないって」
「大したことないと知っているわけだな?」
 圭輔はなにも言わず、前を向いてただ軽く手を振ってみせた。なるほど、それが答えかと思ったが、正直なところどうでもよかった。早く部屋に帰ってシャワーを浴びたい。ビールをひっかけて眠れたらどんなに幸せだろう。
 廃墟の姿を拝むまで、しかし、もうしばらく歩かなくてはならないらしい。

・つづく・


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7月30日のアレ -廃墟5- [Story: 5]

 圭輔はハンドルを握ったまま上体を乗り出し、しきりに「あれさっきのとこかな」「これが本町交差点だから次の信号を」などと独り言に興じている。一方の俺は、襲いくる睡魔と一進一退の攻防を演じていたが、劣勢になりつつあった。
 どこかで車が右折して首が傾いたのは覚えているが、その直後に睡魔軍が俺のソロモン要塞を攻略したらしい。なにか夢を見ていた。古い西部劇に登場するような田舎町で、俺は必死になにかを探していた。あるいはだれかを。そして、そうだケータイ持ってんじゃん、と気がついてポケットに手をやったところでヴィッツが急ブレーキ気味に停まり、西部劇は幕を下ろした。ひどく動悸がして、額に汗をかいている。無理もない。ソーラーシステムが俺の顔を焼いていた。
「なんだ、着いたのか?」
 俺はバイザーを下ろしながらかすれた声で聞いた。
「いや、すぐそこなんだけどさ」
 圭輔はそう言うと、右側を指さした。「福来軒」の看板を掲げた、みすぼらしい外観の店舗だった。
「こんなとこにラーメン屋あるんだな」
「そりゃどこにでもあんだろ。帰りに寄るか?」
 圭輔はあいまいにうなずくと、またアクセルを踏んだ。
 たしかに、圭輔が「こんなとこ」と感じるのも道理ではあった。先ほどまでひたすら直進をつづけてきた県道からどれほど奥に入ったのか、銀色のヴィッツは住宅と住宅のあいだをぬうように進んでいる。家並みをみるかぎり、だいぶ古くからの住宅地であろうと想像がついた。豪奢な家こそ多くはないが、幾何学的な形状や原色の壁面といったものに出くわすことはない。商店の類も目にしない。もっとも、日曜のこの時間に店を開けても客はいないはずだった。
 先ほどのラーメン屋から5分も走らないうちに、圭輔はヴィッツを停めると「左に寄せるから先に降りてくれ」と言う。俺はのろのろとシートベルトを外し、ドアを開けた。とたんに押し寄せた熱気が、いますぐ帰れと拡声器で呼びかけてくるようだった。
 ため息をついて車を降り、ドアを閉めようとして、ドリンクホルダーのペットボトルがふと目にとまった。手を伸ばしたのは無意識だったのか、あるいは「水分補給は大事だよな」くらいには考えたのかもしれない。
 片側一車線で歩道のない直線道路だった。圭輔は3メートルほどあるコンクリートの塀にぴったり寄せて停めると、「あっついな」とぼやいて車を降りた。
「ここ、駐車しても大丈夫なのか?」
「平気、平気。おまわりなんて来ない」
 おまわりどころか、だれも来そうにない。不思議な感じだった。すぐそこまではなんの変哲もない住宅地なのに、ここに立つと明らかに空気が違う。雰囲気や臭いが違うというわけでもない。空気に含まれる成分のうち、なにかが不足しているような、表現しがたい息苦しさを感じた。いや、それも暑さのせいだったかもしれない。
「それで、廃墟はどこにあるんだよ?」
「これ」
 圭輔はにやにやしながら塀を指さした。

・つづく・


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7月26日のアレ -廃墟4- [Story: 5]

 日曜の朝、世間の皆様はまだどこへも出かけないらしい。後続車も対向車もまばらな県道を、ヴィッツエアコンをうならせ疾走していた。
 センターコンソールというのか、中央に埋め込まれているカーナビの画面では地図がなめらかに動いていく。もっとも、お姉さんやアニメキャラクターが「次の信号を右です」などと道案内してくれたためしはない。どうやら廃墟までの経路は圭輔の頭にインプットされているらしいのだった。
「なあ、俺まだなにも聞いてないけどさ、その廃墟ってどんなのよ?」
 圭輔はしばらく黙っていたが、赤信号で停止すると、ようやく口を開いた。
「内緒」
 俺は思わずフンと鼻をならしてそっぽを向いた。横の左折レーンに停まったステップワゴンの後部では、すでに水着に着替えた3歳くらいの男児がのたうちまわっている。泳ぐには絶好の日和だが、無事に海水浴場まで着ければいいがな、と心底思った。
「それはなんだ、知らないほうが楽しめるということなのか?」
「まあ、そういうことでもある」
 ああ、だめだな。俺は観念すると、背もたれを倒して目を閉じた。圭輔には妙に意固地なところがある。言わないと決めたことは、なにがどうあっても言わない。貝の口を開こうとしても、たいがい無駄な努力に終わることを俺は経験から知っていた。
 それからしばらくして、ふいにカーナビがポンと鳴り、女性の声が「L市に入ります」と教えてくれた。
「へっ、L市まで来たの?」
 声を裏返した俺を笑うように圭輔は言った。
「まで、つっても隣じゃん。あと、そうだな、15分もすれば着くからさ」
 隣の市とはいえ、俺にははじめて土地だった。窓の外に見える景色は、しかし、それほど目新しいものではなく、どこにでもあるコンビニやガソリンスタンドが軒をつらねている。
「15分な」
「ああ、驚くぜ」
 なるほど。ともかく驚くような廃墟であること、それだけは判明した。ただし、俺はそれまで廃墟を訪問した経験はなかったのだから、どんなものを見ても驚いたとは思うけれど。

・つづく・


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